2019年のおわり2020年のはじまり

2019年の終わりは、旧作では『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』と2度目の『シン・ゴジラ』をみて、お金をかけた映画の面白さもあると思いつつ、エンドロールに『カランコエの花』の石本径代さんの名前を見つけて、2度も見落としたことに、悔しい思いも倍増しました。新作では『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』をシネコンでみて、マーク・ハミルさんの、ルーク・スカイウォーカーも、キャリー・フィッシャーさんのレイア姫も見納めかと思うと名残惜しい気分でした。そして、今思うと、最初に公開された作品の手作り感が懐かしくもなりました。

さらに、ネットの無料公開作品では、大野大輔監督のかなり怪しげな短編ドラマ『冥界喫茶ジュバック』にはまりました。と言っても全3作で、まだ公開中ですからすぐに観ることができます。ホラーですから怖いのは苦手だという人には、今年最後にみた短編映画、松本花奈監督の『またね』をお勧めします。演劇部の高校生たちの夏の淡い恋物語が描かれています。そこに、失恋した相手を忘れられない大学生も絡んでいて、喪失体験と折り合う過程が一面に描かれています。松本監督は、小学生のころに役者として『サイドカーに犬』に出演されていたことを最近知ったのですが、カウンセリング論の講義でかなりお世話になった作品です。
主演の竹内結子さん演じる洋子と、小学生だった松本花奈さん演じる薫のセリフがとてもカウンセリング的だと思ったので、講義で活用しました。この点は論文にも書いたのですが、ワンシーンのみDVDを流して映像を止め、「あなたなら、何と答えますか?」と質問して受講学生に考えてもらいました。
この作品自体、臨床心理学的にみても面白いところがあります。青年期の発達で、時に憧れの対象となったり支えになったりする年上の姉兄的人たちが果たす役割が、両面的なことを描いています。新鮮で憧れる人であっても、結局は、他の大人たちと同じ面があることを目の当たりにして薫が幻滅するという過程が描かれているところです。大人と同じ面があることに気づくことは苦痛なことですが、否定できない現実でもあり、現実を見る力が育つ過程を学べる作品でもあります。

2019年中にみたドキュメンタリー映画も印象深いものでした。東日本大震災の原発事故で故郷を追われた人たちを描いた土井敏邦監督の『福島は語る』。貴重品すら取り出す時間もなく避難し、帰宅も禁止され避難所をさがして転々とする生活。やっとのことでたどり着いた避難所ですら、その土地の避難住民への気兼ねをした生活が続き、仮住まいを見つけて転居してもいまだ自宅には帰ることができない生活。報道では知り得なかった現実を映画を通して知って痛い思いがしました。ただ、報道でさえ、ある人が捉えた現実の一面や断片でしかなく、ドキュメンタリー映画と同じく何を描いて何をカットするかの取捨選択が行われているわけですし、適切な距離感を持ってものを見る目の大切さを改めて実感しました。

ニューヨークの公共図書館を描いた『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』は、公共図書館の果たしている驚くほどに多様な役割に刺激を受けました。2004年に法人化されたため、純粋な国立大学は消えたとはいえ、「国立大学」を名に負う場で働く者として考えるところがありました。この図書館では、ロビーで講演会がひらかれ来館者は立ったまま聞き入り、パソコン教室に参加でき、就職支援のために企業や公的機関の説明会にも参加でき、さらにはWi-Fiの貸与も受けることができます。市民生活に関わる様々な領域の情報や技能まで得られる場であることに驚きました。それに、スタッフ会議の場の発言も、メンバーの意識の高さが伝わってきました。ほんとうに、市民に貢献することにアクティブな図書館として描かれていました。

昨年最後のドキュメンタリー映画は、本の装幀者の菊池信義さんを3年かけて撮った広瀬奈々子監督の『つつんで、ひらいて』。本のタイトルや著者の名前の文字を紙からハサミで切り取って、実際に表紙に並べて位置を動かしながら決めていき、時には表紙の裏から文字を書いたり、帯のデザインが一冊ごとに微妙に変えられていたり。驚くほどに手作業でつくられ、デザインが完成したところでデジタル化されていました。この装幀の過程を広瀬監督自身が撮影も担当し、装幀作業や印刷や業者との打ち合わせ場面にも同席しながら撮影されていきます。ほんとうに、菊池信義さんという個人を、すぐそばで見つめ続ける映画でした。
ドキュメンタリー映画は、「関係の中で撮る」とよく言われていますが、この作品を、広瀬監督と菊池さんの関係を描いたものとして考えると、互いに敬意を払っていることを感じました。ただ、ネタバレですが、舞台挨拶で広瀬監督は、どんなふうに撮影するかを申し入れたときでも、納得いかない時には菊池さんから考え直してくるように、という場面もあったそうです。カメラを介した闘いでもあると感じたエピソードでした。
それに、物事の終わりに関心のある私にとって、ドキュメンタリー映画が、どんな風に終わるのかも関心のあることでした。そこに運よく、中村佑子監督と広瀬監督との対談で、中村監督が撮影する人とされる人との関係の中でドキュメンタリー映画の終わりも決まっていくものだと話されて、目からうろこが取れました。
というのも、心理面接も同じだからです。回数をあらかじめ設定する技法は別として、面接者と来談した人との関係の中で、自分を知ることを通して自分を変えていくやり方では、面接が終わる時は、かなり相互的な一面があります。目標を掲げて面接を始めても、どの程度達成したところで終るのかは、やはり、相互的な関係の中できまるもので、そろそろですね、というお互いが納得できるところに至った時に決まるものだと考えられますし、実感でもあります。
ドキュメンタリー映画も心理面接も、「関係」がキーワードだとすると、当たり前のことなのかもしれませんが、お互いの関係次第で終わりが決まるドキュメンタリー映画、というのは新鮮な発見でした。
なにより、ドキュメンタリー映画のように、個人のことを臨床心理学的によりリアルに描き出すには、まだまだ修行が必要です。その意味でも、これからもやまほどの映画をみて、どんなふうに人のことを、個人のことを描いているのかをみていくことが楽しみでなりません。映画をみることは、私にとって貴重な学びの機会でもあります。

ところで、心理学教室にも「最後」がやってきます。来年度末にスタッフ2人が退職することです。ひとりは、田邊敏明教授。8月の教室コラムにも出ていたように大のカープファンでメタファーの研究をされています。もうひとりは、以前は当教室事務担当で、今は附属臨床心理センター事務担当の、在職年数が最長のスタッフです。この方抜きには教室の歴史は語れない、といっても過言ではありません。教室にとってもセンターにとっても節目となる1年です。年の始まりから終わりの話になりましたが、終わりをどのように迎えるかは、去っていく人だけのことではなく、取り巻く周りのものにとっても大きなことだと思っています。中川龍太郎監督自身が「現代の『魔女の宅急便』」にたとえられている映画『わたしは光をにぎっている』は、区画整理で消えゆく銭湯が舞台の作品です。これも、多少ネタバレですが、銭湯をたたむことになってしょげている店主(光石研さん)を、励ますほどにちからづよくなった松本穂香さん演じる澪の、発達物語でもあり、物事の終わりをどのように迎えるのか、という生き方についての物語でもあります。静かで美しい作品です。新たな一年の始まりにぜひどうぞ。

気づくと長々と、実はわたしのコラムの順番でもないのに書いてきました。おまけにタイトルは、黒沢清監督作で、前田敦子さん主演、今も見逃したままの映画『旅のおわり世界のはじまり』へのオマージュです。それに、このようなタイトルの使い方とエッセーは、映画館出身の片桐はいりさん(2010)の映画と映画館についての楽しいエッセー『もぎりよ今夜も有難う』(シネマ旬報社)へのオマージュでもあります。オマージュっていうほどのものじゃないでしょ、という声も含めてご容赦ください。

番外編におつき合いくださった皆さまに感謝します。

2020年もふた月に一度の心理学教室コラム、おつき合いのほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。

2020年元旦                           教室主任   恒吉徹三